痛み止めで良くなった、と思っていませんか?

痛み止めで良くなったと思っていませんか?と問いかける、薬と水を前に考え込む男性の漫画風アイキャッチ画像

「痛み止めを飲んだら、良くなりました」

そう話される方がいます。

たしかに、痛みが軽くなると安心します。
動けるようになったようにも感じます。
日常生活も少し楽になります。

だから、
「良くなった」
と思うのも自然なことです。

ですが、ここで一度だけ立ち止まって考えてほしいことがあります。

それは本当に、身体が良くなったのでしょうか。

それとも、
痛みを感じにくくなっただけなのでしょうか。

その選択の先を、想像したことはありますか?

痛み止めを飲むことが悪い、という話ではありません。

仕事がある。
家事がある。
休めない用事がある。
今だけは、どうしても痛みを抑えて動かなければいけない。

そういう時もあると思います。

薬に頼ることが必要な場面もあります。
痛みを抑えることで、生活を守れることもあります。

ですが、痛み止めを飲み続けた場合、
その先がどんな未来になるか、想像したことはありますか?

痛みを感じないこと。
それを一番に優先していった先に、どんな身体が待っているのか。

ここでは、痛みを感じないことを優先した、ひとつの極端な例を紹介します。

これは誰か一人を責めるための話ではありません。
あなたに怖がってほしいだけの話でもありません。

ただ、自分の身体との向き合い方を、一度立ち止まって考えてほしいのです。

「これから自由だ」と思っていた人の話

60代後半の男性がいました。

長年勤めてきた仕事を定年退職し、ようやく自分の時間が持てるようになりました。

これからは旅行にも行ける。
好きな場所にも行ける。
孫とも遊べる。
今まで我慢してきたことを、これから少しずつ楽しめる。

そう思っていました。

けれど、現実は少し違いました。

腰部脊柱管狭窄症と診断され、歩くことがだんだん億劫になっていました。
少し歩くと足が重くなる。
腰が痛くなる。
休まないと進めない。

歩ける距離は、せいぜい500メートルほど。

外出するときは、いつもコルセットをつけていました。

コルセットをつけると、少し安心します。
痛み止めを飲むと、少し楽になります。
無理をしなければ、なんとか生活はできます。

本人も、最初はこう思っていました。

「痛み止めを飲めば楽になる」
「コルセットをつければ動ける」
「だから、まだ大丈夫だ」

けれど、整体院で話をしている時、私はその方に聞きました。

あなたが望んでいるのは、痛みは無いがベッドから動けない状態。
それとも、痛みがあっても自分の足で歩ける状態。どっちですか?

その方は、すぐには答えませんでした。

表情が変わりました。

怒りもあったと思います。
戸惑いもあったと思います。
ショックもあったと思います。

そんなことを言われるために来たわけではない。
楽にしてほしくて来たのに。
痛みを取ってほしくて来たのに。

そう感じたかもしれません。

でも、私はその問いを投げました。

当たり障りのない優しい言葉だけを言うために、この仕事をしているわけではないからです。

その人が向かっている未来を、見て見ぬふりしたくなかったからです。

痛み止めは、本当に効いていないのでしょうか

「痛み止めを飲んでも効かないんです」

そう話される方がいます。

ですが、私は少し違う見方をしています。

痛み止めは、ちゃんと効いていることが多いのです。

効いている。
効いた上で、それでも痛い。

つまり、痛みを抑える作用があっても、なお痛みを感じるほど、身体の状態が進んでいるということです。

本人は、
「薬が効かなくなった」
と思うかもしれません。

でも、本当に考えるべきことは、そこではありません。

薬が効かないのではなく、薬で抑えてもごまかせないところまで、身体が来ているのかもしれない。

そう考える必要があります。

痛いなら、動かさない

痛み止めを飲んでも痛い。

そうなると、人はどうするでしょうか。

多くの場合、痛い動きを避けるようになります。

腰を反らすと痛いから、反らさない。
歩くと痛いから、歩かない。
階段が怖いから、使わない。
外出すると不安だから、出かけない。

痛い場所は、動かさなければそこまで痛くありません。

だから、動かさないことは、一見すると正解に感じます。

「今日は痛くなかった」
「無理しなければ大丈夫だった」
「コルセットをつけていれば何とかなる」

そうやって、その場は安心できます。

けれど、身体はどうでしょうか。

動かさない場所は、だんだん動けなくなります。

最初は腰だけだったかもしれません。
次に股関節が硬くなる。
膝に負担がかかる。
足首が使えなくなる。
背中が丸くなる。
首や肩にも力が入る。

そして、しばらくすると、別の場所が痛み出します。

また薬を飲む。
また痛みが落ち着く。
また動かさない。
また別の場所が痛み出す。

これが何年も、何十年も続いていくことがあります。

本人は、その時その時で、痛くない方を選んできただけです。
決して間違ったことをしているつもりはありません。

けれど、その選択の積み重ねが、少しずつ身体の未来を変えていきます。

気づいた時には、自由が遠くなっている

60代後半のその方は、私の問いを受けて、自分の人生を振り返りました。

若い頃は、痛み止めを飲めば大丈夫だった。
腰が痛くても、少し休めば動けた。
仕事が忙しいから、身体のことは後回しにしてきた。

痛い時は、痛くない動き方を選んだ。
痛い場所は、なるべく使わないようにした。
無理をしないことが、身体を守ることだと思っていた。

そして定年を迎えた。

これから自由になるはずだった。

でも、自由に動ける身体が残っていなかった。

旅行に行きたい。
でも、長く歩けない。

孫と遊びたい。
でも、しゃがむのが怖い。

夫婦で出かけたい。
でも、途中で痛くなったらどうしようと思ってしまう。

仕事を頑張ってきた。
家族のために無理もしてきた。
ようやく自分の時間が来た。

その時に、自分の足で自由に歩けない。

その現実に気づいた時、その方は初めて、自分が選んできた未来の方向を考えました。

自分は本当に、良くなる方向に進んでいたのだろうか。

それとも、痛みを感じない方向を選び続けた結果、動けない身体に近づいていたのだろうか。

快適な介護生活を望んでいたわけではない

もう一度、問いを置きます。

あなたが望んでいるのは、快適な介護生活ですか?
それとも、痛みがあっても自分の足で歩ける未来ですか。

この問いは、きつい言葉です。

言われた人は、怒るかもしれません。
傷つくかもしれません。
そんな言い方をしなくてもいいじゃないか、と思うかもしれません。

それでも、考えてほしいのです。

痛みを感じないことを優先し続けた先に、何が待っているのか。

痛くないように動かさない。
痛くないように支える。
痛くないように避ける。
痛くないように生活を小さくする。

その先にあるのは、本当にあなたが望んでいる未来でしょうか。

痛みが少ないことは大切です。
楽に過ごせることも大切です。

でも、痛みを感じないことだけを追いかけた結果、
自分の足で歩けない未来に近づいているとしたら。

それでも、それを「改善」と呼べるでしょうか。

その人が選び直した、もうひとつの道

問いを投げられたその方は、その日、すぐには答えを出せませんでした。

怒りも、戸惑いもあったと思います。
けれど、家に帰ってからも、その問いがずっと心に残っていたそうです。

自分は、何を望んでいたのか。
痛みがないことだったのか。
それとも、自分の足で歩けることだったのか。

次に来院された時、その方は、少しだけ表情が変わっていました。

「痛みを取ってほしいんじゃなくて、歩けるようになりたい」

そう話してくれました。

そこからは、痛みを消すことではなく、動ける身体を取り戻すことを一緒に目指していきました。

もちろん、いきなり変わったわけではありません。

痛くない動きばかり選んできた身体は、すぐには動いてくれません。
こわばった股関節も、丸くなった背中も、長い時間をかけて作られたものです。

それでも、その方は、少しずつ身体と向き合うようになりました。

痛みを避けるためではなく、動ける身体に近づくために、できる範囲で身体を動かしていく。
無理はしない。けれど、避けてばかりもいない。

そうやって過ごすうちに、変化が出てきました。

500メートルで休んでいたのが、もう少し歩けるようになった。
しゃがむのが怖くなくなってきた。
外に出ることへの不安が、少しずつ減っていった。

痛みが完全に消えたわけではありません。
狭窄症そのものが無くなったわけでもありません。

けれど、その方の身体は、動けない未来ではなく、動ける未来へと向き始めていました。

何より変わったのは、身体だけではありませんでした。

「痛みがないこと」を一番に置いていた頃は、いつも身体の不安に振り回されていました。

でも、「自分の足で歩きたい」という目的がはっきりしてからは、
痛みが少し出ても、必要以上に怖がらなくなったそうです。

本当に大切にしたかったのは、痛みがないことではなく、自分の人生を自分の足で歩くことだった。

そう気づいた時、その方の人生の向きが、静かに変わっていきました。

病気は、ただの邪魔者でしょうか

狭窄症という病名がつくと、多くの人はこう思います。

「自分の身体は悪くなった」
「年齢のせいだ」
「もう仕方ない」
「できるだけ痛みを出さないようにしよう」

もちろん、病気はつらいものです。
痛みは苦しいものです。
不安にもなります。

でも、病気や痛みは、ただの邪魔者なのでしょうか。

もしかすると身体は、ずっと前から知らせてくれていたのかもしれません。

この使い方では苦しい。

この生活では限界が来る。

このまま進むと、動けない未来に近づいてしまう。

そう教えてくれていたのかもしれません。

その知らせを、痛み止めで感じないようにしてきた。
コルセットで支えて、動かさないようにしてきた。
痛くないことを優先して、身体の声を後回しにしてきた。

そう考えた時、病気はただの不幸ではなくなります。

自分の身体を見直すきっかけになります。
人生の向きを考えるきっかけになります。
本当に大切にしたいものを思い出すきっかけになります。

あの60代後半の方にとっても、狭窄症という病気は、
自分の人生で本当に大切なものを思い出す、きっかけになったのかもしれません。

何を「改善」と呼ぶのか

痛みが消えることは、嬉しいことです。
痛みが軽くなることも、大切な変化です。

けれど、それだけを改善だと思ってしまうと、大切なものを見失うことがあります。

痛みを感じないこと。

それだけを優先して進んだ先に、動けない身体が待っているかもしれない。

一方で、痛みが少し残っていたとしても、

前より歩ける。
前より動ける。
前より自分の身体を信じられる。
前より生活の範囲が広がる。

その身体は、未来に向かっています。

もちろん、痛みを我慢しろと言いたいわけではありません。
無理に動けと言いたいわけでもありません。

今どうしても忙しい時は、薬に頼ってもいいと思います。
仕事や生活を優先しなければいけない時もあります。

ただ、余裕ができた時には、必ず身体と向き合ってほしいのです。

知らずに進んでほしくない。

いよいよという所まで進んでから気づく人も多くいます。
でも、知っているだけで、その未来を避けられたかもしれない。

だからこそ、今この問いを置きたいのです。

あなたのその選択は、
その先にどんな未来になるか、想像したことはありますか。

痛みを感じないことだけではなく、

動ける身体を「改善」と言える人を目指してほしいと思います。

※この記事に登場する男性のエピソードはフィクションです。実在の特定の人物の話ではなく、これまでの施術経験をもとに、痛みとの向き合い方を考えていただくために構成したものです。

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